私たちの歴史

私たちの歴史

明和会をご存じ?

 明和会と検索します。福祉関係、老人施設運営の医療関係法人が多く検索されます。
私たちがご紹介したいのは、新宿区商店街連合会所属の「明和会」です。
創立、昭和25年(1950年)新宿区大久保地域を中心に、戦後各地より移り住み生活の糧として何らかの商売を始め、戦後復興の礎を目指し営んできた先人達が結束の賜物として「明和会」という名の会を作りました。
大久保通リと明治通リの交差点には当時、信号が無くしばしば事故が起きました信号設置の請願を主としまず団結が必要だったそうです。
明和会。明るい和やかな会、と言われますが、会の命名は、多分、明治通りに平和をもたらす商店会、という希望が込められたと思います。
戦災で焼け出された家族、特攻隊でぎりぎりに生き残った軍人、軍飛行機の整備兵。
戦争のつらい経験を生き抜いた当時、30~40歳の方々の集まりだったと記憶します。
一時期商店100軒以上の商店会でした。1990年代の所謂バブル経済の最中、明治通り沿いに高層ビル化が進み明和会もその潮流に巻き込まれ、地域のビル化とともに商店が減ってきました。地下鉄開通により交通の便の良い地域となり、ますます企業の誘致地区となり現在となります。

明和会立地地区の歴史

※江戸時代
明治通り大久保地区は江戸時代、「尾張徳川家 戸山山荘」と呼ばれる広大な下屋敷でした。広大な回遊式庭園を有し、現在箱根山といわれる、都内で標高の最も高い場所人口の小山も造作されました。

※明治時代
明治政府により戸山山荘は接収され、「軍医、軍事の拠点」となります。
戸山山荘は明治時代は戸山屋敷と呼ばれ、陸軍戸山学校、陸軍病院、軍楽隊、射撃練習場、等陸軍の要所となります。
明治通リは代々木練兵場との移動の道として整備されてきました。

※大戦後
陸軍要所はアメリカ軍により平和条約提携まで、アメリカ軍に使用されていました。
明治通リをアメリカ軍の戦車が走っています。

※返還後 
広大な陸軍用地は、住まいを亡くした国民のために戸山ハイツという公営住宅が建てられました。人が集まり始めました。
学習院大学、早稲田大学理工学術院、戸山高校、コズミックセンター、スポーツセンター、区立中央図書館、が現在建ち若者たちの地域ともなっています。
明和会はこうした変遷を得て、現在に至ります。

※明和会会員とは
明治通リ沿いの、新宿6丁目から 東新宿駅~西早稲田駅先の学習院大学を含む地域の明和会に興味をお持ちいただいた企業、学校、商店の皆様により活動している商店会です。